2018-06-05 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第18号
○政府参考人(高橋憲一君) 委員御指摘の点でございますが、今回の報告書において述べましたとおり、陸上自衛隊研究本部におきましては、当時の教訓課の人間が、実際に文書探索を行わず、上司の決裁を得ずに文書不存在の回答を行ったことが確認されております。
○政府参考人(高橋憲一君) 委員御指摘の点でございますが、今回の報告書において述べましたとおり、陸上自衛隊研究本部におきましては、当時の教訓課の人間が、実際に文書探索を行わず、上司の決裁を得ずに文書不存在の回答を行ったことが確認されております。
さて、日報の公開請求を受けた教訓課の文書担当者は、十分に調べもしなかった、なおかつ、日報の存在を知っていた課長に相談や報告することなく、ないと回答したんですね。情報公開の担当者が、上司の決裁も受けずにないと報告し、それが結果的に組織決定になっているわけです。防衛省では、情報公開請求について、いつもこのようなずさんな対応がなされているんでしょうか。
その結果、当時の陸上自衛隊の研究本部教訓課内にイラクの日報が存在していることを認識している者と、イラクの日報が様々な探索依頼に対応していた教訓課内の間で情報が共有されていた事実というのは確認できないという結論に至りました。
○宮川(伸)委員 今、これは教訓課ということですが、防衛省全体あるいは陸上自衛隊を見た場合に、このように、メールで来たものは無視してしまって文書以外は取り扱わないというようなところはどのぐらい例があるんでしょうか、部署として。
○宮川(伸)委員 二十数名の教訓課ということですが、実際、どういう場所で、どうやられているか、私はちょっと存じ上げないんですが、その中に、この組織図で教訓課と書いてありますが、赤字で、課長、G氏、O氏は日報の存在を知っていた、だけれども、その同じ部署にいたF氏やN氏というのは、二の稲田防衛大臣の指示だとか行政開示に関しての取扱いをやっていたんだけれども、ここのお互いの情報が全く知り得ていなかったというのが
もう一つお聞きしたいのは、この教訓課でありますが、当時、教訓課の人数というのは何人だったんでしょうか。
この問題について、組織的隠蔽はなくて、統幕の職員が防衛大臣からの指示を十分に履行できなかったこと、及び教訓課における事務処理が不適切であった、これが理由と結論付けております。これでは国民の疑念は晴れないんですね。 南スーダンの日報の隠蔽でも政治的動機が問われました。先ほど来、意図のあるなしはシビリアンコントロールとは関係ないという提起もありました。
他方で、統幕の職員が稲田防衛大臣からの指示を十分に履行できなかったこと及び教訓課における事務処理が不適切であったことなどが、平成二十九年三月二十七日にイラクの日報が発見されていたにもかかわらず稲田防衛大臣に報告が上がっていなかった理由であるとの結論に至りました。
日報が発見されていたにもかかわらず、当時の稲田防衛大臣の再探索指示や情報公開請求に対して不存在と回答していた件について、今回の調査の結果を踏まえると、稲田防衛大臣の再探索指示を受けた統幕による再探索依頼の内容が不明確であり、防衛大臣の指示への対応と、適切に行ったとは言い難く、そのため大臣からの再探索指示である旨を陸自研究本部までしっかり行き渡らせることができなかったこと、また、ふだんから陸自研究本部教訓課内
まず、この請求は、大臣官房情報公開・個人情報保護室が受けて、そこから統幕総務部総務課、陸幕監理部総務課の情報公開室、陸幕の窓口ですね、あと、内局では防衛政策局の防衛政策課に対して、まずメールが行って、それぞれのところからそれぞれの中に更にメールが行ってという形になって、実際にこの日報が後で見つかったのは陸幕の研究本部の教訓課なわけですけれども、そこまでのルートというのは、先ほどの最初の窓口である大臣官房情報公開室
○後藤(祐)委員 そこを答弁しないのは非常に残念ですが、結果として、研究本部教訓課まで行って、ないという答えが逆のルートをたどって返ってきて、内局ですとか統幕ですとか、ほかのところのものも全部統合されて、大臣官房情報公開室に日報はないという状態で返ってきたのはいつですか。 つまり、情報公開室としてメールの探知をして、探知した範囲では、ないということが確認できたのはいつですか。
ところが、三月二十七日、教訓課の担当者が日報を発見しています。二番、教訓課長は大臣らに報告をいたしませんでした。つまり、今年の一月の、下ですね、その赤いところ、一月の十二日には既に陸幕総務課のところにイラク日報の報告が上がっていました。そこから一か月以上黙っていて、二月二十七日になって統幕に報告が上がります。 その下の青いパネルのところを見てください。
ここ、最後になりますけれども、去年の話ですけれども、右側の一番下の教訓課の課長、それから二段、三段上がったときの陸上幕僚監部、ここの間のコミュニケーション、ここが問題です。
当初は本年一月十二日とされていましたけれども、陸上自衛隊研究本部の教訓課において把握をし、そして三月の五日にこの話をわかったということから、この三月三十一日まで報告もしなかったというようなことがあるんですが、それ以前に、一年も公表までに要しているということなので、シビリアンコントロールの不在の状況が続いたのはなぜかということを、ちょっと、防衛省に来ていただいていますので、済みませんが、一言教えていただきたいと
最近というか、本日も、委員会がスタートがおくれましたのも、防衛省が存在していないとした陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報が研究本部教訓課にあった。また、最近の報道では、大臣が認めていらっしゃるようですが、航空幕僚監部の方にも保管されていたことが判明されたということであります。 複数のところにあったこと、また、これが大臣にも報告もされなければ、今回も国会にも報告がされない。